投資と投機の違いを考えてみた:定量的判断と定性的判断

投資(investment)と投機(speculation)は,違うものとされています。

漠然と,投資は産業を育てる良いもので,投機はギャンブル的な良くないもの,みたいなイメージがあるかもしれません。

私は,投資/投機を,それぞれ定量的判断/定性的判断に基づく,2つの異なるリスクの取り方,としてとらえるのがいいのではないかと思っています。

ここでは,善悪のイメージを離れて,それぞれの言葉が持つ可能性を考えてみます。

投資と投機の共通点と相違点

投資と投機の共通点は,どちらも不確実性のあるものに,自分のリソース(お金や労力や時間など)を投入して,将来に投入したリソース以上の利益を得ようとすることです。

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投資や投機は,資産クラス(株や債券や不動産など)の売買を意味することが多いでしょう。広く考えれば,学校で勉強することや取引先と飲みに行くことを,投資や投機としてとらえることもできます。何かしら将来利益に関わる行為であれば,それは投資や投機になり得ます。後者のような広い文脈で,金融的な考え方を利用していくのも有用なことで,私も頻々やります。それと同時に,資産クラスの売買技術を高めるためには,狭い意味で(テクニカルタームのような位置づけで)これらの言葉を把握する必要もあります。

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他方で,一般的には,投資と投機は区別して言及されます。例えば次のような具合に。

一般には、「投機」と言う言葉は投資と対義語のように扱われ、否定的に語られる(たとえば債券関係の格付けで、元本が返済されないリスクが高い=金利の高いものを「投機的」レベルという[4])。

しかし投機は投資という行為の一形態であり[要出典]、両者を分けるのは主にその言語を使う者の主観によることが多い。

たとえ「投機的」なものであっても、市場(マーケット)においては流動性を高める働きや、広義のリスクヘッジの機会を提供するものである。

一方で銀行による資金の供給が、ことに株券や土地を担保とした場合、時に投機資金に流用されバブルなどの市場混乱を引き起こす場合もある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/投機

でも,これは,私にとってあまりしっくりくる区別の説明ではありません。

投資は定量的判断,投機は定性的判断

私は,投資と投機を,2つの異なるリスクの取り方と考え,投資を定量的な判断に基づくリスクテイク,投機を定性的な判断に基づくリスクテイク,として区別するのが良いんじゃないかと思っています。

辞書では,investigate が「詳細に調査する,研究する」で,speculate が「確実な根拠なしにあれこれ思索する」となっているので,投資(investment)と投機(speculation)も,まあそれに連なる語感なのだろうと思いますが,現代において物事の確実性は,往々にして定量性に結びつけられているので,投資/投機を,善/悪でない見方で区別し直すとすれば,定量/定性は,悪くない再定義かと思います。

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例えば,株の売買は投資として行うことができます。

その売買判断を財務諸表などの定量的根拠に基づいて行うことができるからです。

企業の業績が上がれば株価も上がるという,基本的な因果関係を認めるとすれば,公表されている数字をきちんと読み解くことによって,利益の確実性を上げることができる。

様々な制度的インフラを前提として,比較的明確なルールの下で数字を判断できる。

このような売買のあり方・リスクの取り方が,ここでいう「投資」ということになります。

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これに対して,現実の政治経済の中には,定量的に十分確実なことはわからないけれども確かに進行する,社会や人々の意識のうごめきというものが存在します。

そのような,制度化され整備された数字には表れない,定性的判断を要求されるリスクの取り方や,それに基づく売買を,ここでは「投機」と呼びたいと思います。

例えば,仮想通貨は,株のような定量的判断を根拠づけるシステマティックな文脈がまだ十分に用意されていません。

あまりにも不確定な要素が多く,現行の株式投資と同一に論じることはできませんし,外国為替取引のように,特定の国家や圏域の経済状況と結びつけて根拠づけることもできません。

そうであるにも関わらず,自国の法定通貨や中央銀行制度による信用整備が十分でない途上国での潜在的需要,金融とITの技術的融合,新しい流入先を探す金融緩和を背景とする巨大マネーの存在など,仮想通貨の将来的な価値上昇を疑わせる傍証も,多数あります。

これらの定性的判断からなされる仮想通貨の売買を,一概に馬鹿げたこととは言えない。

そして,このような状況下での売買リスクの取り方を,投機ということに私は違和感がありません。

投資と投機を区別した上で両方を組み合わせて使う能力

定量的根拠に基づいた投資判断ができる範囲というのは,それなりに限られており,世に先んじて利益を上げようとするなら,程度の差はあれ,定性的判断が必要になります。

その意味で,投資と投機は,厳密にクリアカットに分けられるものではありません。

ですが,投資/投機を,定量/定性のような,善悪でない区別で,いったん捉えなおした上で,両方を使いこなすというのは,それなりに有効だと思います。

定量的判断ができる部分はきちんとやった上で,さらに高度な定性的判断もできるように勉強していく,という道筋が見えてくるからです。

「全然わからない 俺たちは雰囲気で株をやっている」は有名なセリフですが,避けるべきはこの事態なわけでして,必要なのは,自分のポジションがどの程度の投資的・投機的なのかを理解しながら進む能力なんじゃないでしょうか。

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